佐藤酒造の思い

日本酒には2つの大きな力があると信じています。
一つ目は心をつなぐ力、そして、二つ目は郷土の文化となる力です。
心をつなぐ日本酒。事を始める前の酒は心をひとつにする力があります。
そして、事を行ったあとの酒は緊張を解きほぐし、絆を深め、次に進む新しい力を生み出のです。
文化としての日本酒。郷土の自然が育んだ「米」、「水」、「人」が醸す日本酒はその地域の代名詞となり、日本酒を語るときその土地の文化、気候、景観が自然と浮かぶ。その地域とつながる文化となるのです。
生まれ育った素晴らしい街。ここで人の心をつなぎ、郷土の文化となる地酒を醸したい。
そんな思いを抱き、酒造会社を立ち上げる決意をし2011年春 佐藤酒造株式会社を発足致しました。
滋賀県北部に位置する長浜は、戦国一の出世頭として名高い羽柴秀吉(豊臣秀吉)が1573年にはじめて城をもち城下町として栄えました。
継承される歴史と伝統、町衆自治の精神、そして、日本百名山のひとつ名峰伊吹山と日本一の大きさを誇る琵琶湖に囲まれた豊かな自然。
この北近江長浜に息づく魅力とおもてなしの心を “口あたりやわらかく芳醇な味わいとキレのよさを併せ持ち、料理と共に楽しんで頂ける食中酒”を追求しています。
日本酒づくりを通して、長浜のおもてなしの心を伝えたいのです。

佐藤酒造の歩み

もともと私の生まれた実家は造り酒屋でした。
秀吉公とゆかりが深く、日本三大山車祭りのひとつ「長浜曳山祭り」の舞台としても有名な長浜八幡宮前で明治・大正・昭和と代々酒造りの伝統が代々受け継がれ長浜の人々に親しまれてきました。
その後、私が生まれた昭和49年、激動する酒造業界の流れのなかで実家の酒造会社を含め長浜市内8酒造会社の協業組合による酒造りに切り替わり、私も大学卒業後、この会社に勤め酒造りの様々な事を学びました。
しかし平成に入りこの協業組合が廃業をすることになり、酒造免許も消滅することになりました。
すでに実家に酒蔵の建物はなく、協業組合の工場も解体、酒造免許も消滅という状況でしたが、地酒の魅力に引き込まれ、生まれ育った長浜での酒造りにかける思いをあきらめきれなかった私は、新しい自身の酒蔵を築くことを決意しました。

酒酒造りの要となる水などを条件に長浜市内で物件を探し、長浜市榎木町に良質な地下水が豊富で立地も理想的な空き工場を見つけました。
2010年9月に佐藤酒造株式会社を設立。金融機関から資金を調達して工場地を取得し、井戸を掘り、酒造設備を整えました。
そして膨大な資料を整え2年掛りで2011年3月にようやく念願の清酒・リキュール製造免許を取得。
地元説明会を経て、長浜市榎木町にて佐藤酒造株式会社を正式に発足しました。

いよいよ念願の酒造会社をスタートさせましたが、初めての設備、今まで経験してきた大型仕込みと異なり、手作業による小仕込みで思うような酒が出来ず悪戦苦闘の毎日が続きました。
酒造りの先輩や酒類指導官に指導を仰ぎ、自らも日記や経過簿に仕込み経過や課題をつづり、洗米の吸水時間などの原料処理方法、仕込み配合や温度設定など、3年あまりの歳月をかけて理想の酒を目指し日夜研究をしてきました。
一方で湖濱ブランドの定着に向け試飲即売会や酒の会なども積極的に行い、お客様の評価を聞き、どんな酒を造りたいのか、自分の中で考えをまとめていきました。

このような試行錯誤の甲斐もあり、2014年秋からの酒造りでようやく思うような酒が出来はじめました。
この年の新酒しぼりたてが高評価を頂き、続く2015年3月には「湖濱 特別純米酒」が日本航空ジャパンプロジェクト滋賀で採用され、JAL羽田空港ダイヤモンドプレミアラウンジで提供して頂きました。
また同年9月にはロンドンの高級百貨店“ハロッズ”で開催された「酒ソムリエ協会」主催のロンドン酒チャレンジ2015に「湖濱 特別純米酒」の海外輸出パッケージ「大湖 特別純米酒」が金賞を受賞するなど、大きな転機を迎える年となり、酒造りへの手ごたえを感じられるようになりました。

本年開催されたロンドン酒チャレンジ2016でも「大湖 特別純米酒」が大吟醸クラスのエントリー酒の中、銀賞に選ばれ2年連続の入賞となりました。
様々な方の支えを頂きようやく2016年に創業5周年を迎えることができ、酒造会社として基礎が出来たと感じられるようになり、今後はさらに郷土色と個性を出した酒を醸し、皆様にお届けしたいと考えています。
弊社のお酒を販売頂く酒販店様、お料理店様、そして愛飲頂いている皆さまとの繋がりをさらに深め、広げていけるよう、今後も全力で酒造りに向かって参ります。

湖濱 特別純米酒

やわらかな口当たり、芳醇な旨みと後味の切れの良さを追求しました。チーズや肉料理、甘れを使った濃厚な味わいの料理との相性が抜群です。